旅こそ我が人生

72歳、残りの人生のために、これまでのかなり愚かな人生を美化するための(笑)ストーリー(2022年10月再開)

幼稚園、それから祖父の思い出

10月27日(木)


きのうは秋晴れ。
孫を預かる日だったので、近所の野毛山動物園へ。
動物園は何か切ない。本来の住処ではない狭い部屋に閉じ込められている大型動物は悲しい。でも見てしまう。ライオンのラージャはズーラシアで生まれてここに来たらしい。ひとりぼっちのラージャ。からだいっぱいに共鳴させる咆哮、おそらく夜中はこの近所一帯に聞こえていることでしょう。切ないからといってサバンナに放しても生きては行けない。


一歳の孫に、キリン、ライオン、キツネザル、アリクイ、いろいろ見せたけど、日頃、絵や写真やぬいぐるみで覚えてる動物とめの前の動く生き物が同じものだとは認識できないようでした。いちばん嬉しそうに反応したのは爬虫類館のリクガメでした。


半生記、つづき
★★★★★★★★★★★★★
教会の経営する幼稚園での思い出はおだやかで平和なものだ。
茶道のレッスンとかもあったよ。
一人一人専用の小さな引き出しに折り紙とかシールとかいろんなものが入っていて自由に制作もできた。園長先生のお話タイムは退屈でとなりの子とおしゃべりしちゃったけど、大声で叱られることもなくそっと後ろに先生が座ってた、そんなことを覚えてる。
園庭にはユーカリの大木があって、かおりのきつい三角錐の実がいっぱい落ちていた。


最初は同居のおじいちゃん(父の養父)が送り迎えをしてくれた。煙草を吸う人で、道路に煙草の吸い殻を見つけると私に拾わせてそれを家で中身を出してまた紙に巻いて吸っていた。戦後十年、まだまだ貧しかった。
おじいちゃんの背中には大きな刺青があった。顔は覚えてないのに桜吹雪の入れ墨は覚えてる。足立組という建築業だったと聞いたけど、刺青入れるような世界の人だったんだろうね。ときどきどなれて怖い人だった。はったいこという粉を練っておやつを作ってくれた記憶がある。私がもう一つ食べると言ってそれを食べられなかったので「たべへんんのやったら食べるって言うな!」って怒られたので記憶に残ったんだ。子守はしてくれたけど笑顔の思い出はないのはどうしれだろう。
父は妻子と養父を養ってたんだねぇ。母は気難しい舅と同居だったんだねぇ。
久治郎おじいちゃんはわたしが5歳のころに家で亡くなった。なくなる前に洗礼を受けて、お葬式は自宅でキリスト教式で。、お線香の代わりにカーネーションを供えた。


★★★★★★★★★★★★★

×

非ログインユーザーとして返信する