旅こそ我が人生

72歳、残りの人生のために、これまでのかなり愚かな人生を美化するための(笑)ストーリー(2022年10月再開)

家族について

自分史を書こうと思って始めたものの、こんなところにプライベートな思い出を書くことに意味があるのか、なんて考え始めたら続かなくなった。自分のことを書くというのは、家族のことを書くということになってしまうし・・・

5人家族のうち、生きてるのは私と2歳上の姉だけ。


家族ってなんだろうなー


人には2つの家族がある。

生まれた家族と、生む家族。

社会学の授業でそう習った。

私の場合、生まれた家族は両親と3人姉妹の5人家族。生む家族のほうも、夫と3人の子どもの5人家族だった。夫とは離婚して、3人の子どものうち一人は亡くなり、あとの二人は結婚してそれぞれ新たな戸籍と家族を作ったので、私は一人戸籍、一人世帯。

こうやって家族というのは作られ

ては消えてゆく。

もちろん結婚した子どもとその子どもたちは広い意味では家族だけどね。彼らは別に生む家族を作っている。

結婚によって義理の息子、義理の娘、新たな親戚が増えていく。

恵まれた人はひ孫や玄孫までいる。


家族。

一族。

ファミリー。

子々孫々。

ホームスィートホーム。

家系断絶。

天涯孤独。

みなしご。


連想ゲーム。


ともあれ、人は一人で生まれて一人で死んでいく。

何も持たずに生まれ何も持たずに去ってゆく。


何をしに生まれてくるの?  


答えは


愛に出会うため。


愛に出会えずにこの世を去った魂は

何度も生まれてくるのだと私は信じることにしています。


さて本題に戻って、私はこの自分史の続きを書くべきか否か。


もう少し考えてみます。

野望は捨てると気持ちが安らぐ

10月29日(土)快晴
きのうに続き真っ青の秋空。


ここまで書いて

きょうは11月1日 曇り


毎日更新って難しい!


珍しく娘と孫もでかけてぼんやりした午前中だったけど、そろそろ保育園に出勤。がんばってこよう。


こないだ世界旅行をあきらめて車を買おうかと思ったのはなぜでしょう。円安のせいかも。車のある自由さ、機動力、脚のある感じ、あと少しは味わいたいです。それに単独72歳ばあさんの世界一周はどうなんでしょうかねー、歯も悪いし(笑)

幼稚園、それから祖父の思い出

10月27日(木)


きのうは秋晴れ。
孫を預かる日だったので、近所の野毛山動物園へ。
動物園は何か切ない。本来の住処ではない狭い部屋に閉じ込められている大型動物は悲しい。でも見てしまう。ライオンのラージャはズーラシアで生まれてここに来たらしい。ひとりぼっちのラージャ。からだいっぱいに共鳴させる咆哮、おそらく夜中はこの近所一帯に聞こえていることでしょう。切ないからといってサバンナに放しても生きては行けない。


一歳の孫に、キリン、ライオン、キツネザル、アリクイ、いろいろ見せたけど、日頃、絵や写真やぬいぐるみで覚えてる動物とめの前の動く生き物が同じものだとは認識できないようでした。いちばん嬉しそうに反応したのは爬虫類館のリクガメでした。


半生記、つづき
★★★★★★★★★★★★★
教会の経営する幼稚園での思い出はおだやかで平和なものだ。
茶道のレッスンとかもあったよ。
一人一人専用の小さな引き出しに折り紙とかシールとかいろんなものが入っていて自由に制作もできた。園長先生のお話タイムは退屈でとなりの子とおしゃべりしちゃったけど、大声で叱られることもなくそっと後ろに先生が座ってた、そんなことを覚えてる。
園庭にはユーカリの大木があって、かおりのきつい三角錐の実がいっぱい落ちていた。


最初は同居のおじいちゃん(父の養父)が送り迎えをしてくれた。煙草を吸う人で、道路に煙草の吸い殻を見つけると私に拾わせてそれを家で中身を出してまた紙に巻いて吸っていた。戦後十年、まだまだ貧しかった。
おじいちゃんの背中には大きな刺青があった。顔は覚えてないのに桜吹雪の入れ墨は覚えてる。足立組という建築業だったと聞いたけど、刺青入れるような世界の人だったんだろうね。ときどきどなれて怖い人だった。はったいこという粉を練っておやつを作ってくれた記憶がある。私がもう一つ食べると言ってそれを食べられなかったので「たべへんんのやったら食べるって言うな!」って怒られたので記憶に残ったんだ。子守はしてくれたけど笑顔の思い出はないのはどうしれだろう。
父は妻子と養父を養ってたんだねぇ。母は気難しい舅と同居だったんだねぇ。
久治郎おじいちゃんはわたしが5歳のころに家で亡くなった。なくなる前に洗礼を受けて、お葬式は自宅でキリスト教式で。、お線香の代わりにカーネーションを供えた。


★★★★★★★★★★★★★